しあわせの香り ’11

木もれびの街で穏やかな日々が続くことを願いながら暮らす家族の日常を綴っています。

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あの日から一年

2011.3.11(金)午後2時46分この世の終わりかと思うほどの
大変な揺れ、そしてその後、信じられないような巨大津波、日本で初めて
経験する原発事故に東日本が襲われました。
あれから今日で一年、長かったような、あっという間だったような・・・

一年経った、当地の様子です。
 津波で破壊された中学校は、壊れた窓等はベニヤ板で覆われ、
校庭は、地域のがれき置き場になっていました。 

2012いわき

 津波で店内が根こそぎさらわれてしまった海辺のスーパー
漁港も地盤沈下し、崩壊、無事だった漁船も「原発事故」でばらまかれた
放射性物質で汚されてしまった海ではもはや出番なし。 

この海辺の町に「復旧・復興」という言葉はいつになったら
使えるようになるのでしょうか・・・・

丘にあがった漁師さんたちは、原発事故の補償金で毎日遊んでいる
と陰口をきかれ・・・・
汚染された農地で大切な農地を荒らしたくないと作物を作る
農家の方たちも、補償金目当てと言われ・・・
どうすればいいのか分からないで苦しんでいる人がたくさんいます。
それぞれの立場で、成すすべを失くし、苦渋の選択を迫られています。
漁師さんの中には、家族も仕事も家も船も何もかも失くした方も
いらっしゃいます。
仕事もない愛する家族もいない、そういう方たちに前向きに
頑張って生きようなどととても軽々しく言えません。

標高の関係で無事だった美空ひばりさんの歌碑(みだれ髪)・遺影碑
後ろに見えるのが、「塩屋崎灯台」

ひばり

全国からの観光客で賑わっていたところです。

地震津波で被害が少なかった人たちも「原発事故」によって
失くしたものの大きさに途方に暮れています。
それは、時が経てば経つほど大きくなっているように感じます。
原発や放射能に対する考え方の違いで完全に人の心は二極化し、
コミュニティーも変わりつつあります。
友人と「放射能なんてもはや我々の年齢になれば怖くない、
怖いのは、それによって作られる嫌な空気と、変わっていく人の心だ」
としみじみ話しましたが、本当に恐ろしく、悲しいことです。

こんな小さい国土で54基もの「原発」を稼働させ続けなければ
日本は生きる道がなかったのでしょうか。

昨日、福島を代表した男の子がニューヨークでした講演の中で
「医者になってみんなのためになる立派な大人になります」
というのを受けて、番組の女子アナが、こんな子供に悲しい思いを
させてしまった私たちは立派な大人とは言えませんね。
と涙ぐんでいました。

本当に何もできない大人だと私も自分自身を
省みてこの一年情けない思いで過ごしてきました。
どう考えても、大したことは何もできないことは分かり切っているのですが
小さなことなら生きている限りし続けることはできるはず。
我が家も4月から新しい生活が始まりますが、気持ちも新たに
2011年の今日という日を決して忘れることなく過ごしていきたいと
思っています。

今日は静かに、犠牲になられた方々のために
今なお哀しみの中におられる方々のために祈ります。

。+゚☆゚+。★。+゚☆゚+。★。+゚☆゚+。★。+゚☆゚+。

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( v^-゚)Thanks♪ 

セラも静かに祈ります。
津波の現場の海を見てセラは震えてしまいました。 
なぜだか分りません。
父と母も不思議がっていました。

***********

日本のハワイ、「スパリゾートハワイアンズ」
完全復活オープンしましたよ~   
放射線量がとても低い地域なので大丈夫ですよ 416246.gif


No More Nuclear Disasters!!



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| 大震災のこと | 14:46 | comments:5 | trackbacks(-) | TOP↑

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今年の年賀状

昨年の暮れ、年賀状が売り出された頃にTVの街頭インタビューで
大震災のことがあるので、例年の「明けましておめでとう」的な浮かれた
文言は避けなければ・・・と言う声が随分放映されていました。

今、我が家は三重苦(地震・津波・原発)の被災地に居を構えているので
やはりみなさんとても気を使って年賀状を書いて下さったらしく
その気持が今年の年賀状から読み取れました。
そして英語で、というのがとても多かったです。 

2012年賀

中越地震で被災した友人の年賀状には、よく分かるだけに
「なんと言っていいか言葉が見つからない・・・・」と一言。
ありきたりの慰めの言葉や励ましの言葉は軽っぽしくて
しらじらしい感じになってしまわないだろうか・・・・
でも、何か言って励ましたい、じゃあ、英語でなら・・・・
みたいな感じがとてもよく分かり読んでいて胸がいっぱいになりました。

今まで、今回ほどではなくても、多くの自然災害に見舞われてきた日本。
私の場合、そのつど、大変な事だ、自分に何か出来ることはないか・・・
取りあえず義捐金だ・・・
そんな感じで時間が経ち、
いつのまにか遠い記憶になってしまっていたような気がします。
今回の震災時に友人知人が私に寄せてくれた
思いの深さと比べたら・・・・・
なんと自分は薄情な人間だったのかとかなり落ち込みました。
体験してみて初めて気付くことばかりでした。

今となっては、3.11以前の日本に戻ることができないのは
確実だと思います。
将来への不安、過去を断ち切って前向きに生きられる人が
きっとこの難局を乗り越えて挫けずに生きていけるのでしょう。

「記憶があるからメランコリーになる。未来があるから不安になる。
そこから逃れるには今とここを精一杯生きるしかない」


と書かれた本を読みました。
本当にその通りだと最近つくづく思うようになりました。

我が家の犬のセラを見ていると、たった1コの煮干しを
もらうにも、毎日決まり切った同じご飯をもらうにも
散歩するときも、本当にその瞬間瞬間一生懸命で幸せそうで、
それを見ているとその健気さに涙が出そうになり、結局幸せに
生きるってこういうことなのかも・・・・と思います。

思考をシンプルにし、「今、ここ、smile、smile!!」で
この難局を乗り切りましょう 

ひなたぼっこ

おひさまが出ていればひなたぼっこをして幸せそうなセラ。

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そう、アタシはいつだってごきげんデスヨ♪ 
 

| 大震災のこと | 12:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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息子のお弁当もうひとつ

震災当日の朝息子に持たせたお弁当の画像と一緒に
奇跡的に残っていたもうひとつのお弁当画像を
今年のうちに記録しておきます。
震災前日3.10のお弁当です。

3.10弁当

 鶏肉の竜田揚げ
   焼きプチトマト
   クリームチーズとほうれん草のハム巻き焼き
   焼き海老
   レンコンのぺペロンチーノ
   蒸しブロッコリー

3.10弁当2

この数日後に食べ物が全く手に入らない状況が来るとは
誰が想像したでしょうか・・・

お店に食べ物が溢れていて、家にもたくさんあって余らせて
ダメにして捨てたり・・・・・ 
当たり前のように暮らしていたことが実はとんでもなく
有難いことだったということを嫌と言うほど実感した震災でした。

喉もの過ぎれば・・・・にならないようにこのことを肝に銘じて
生活していかなければと思います。

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セラは良いコなのでごはんを残さないデス。
おちゃわんもペロペロピカピカにするので 
地球にも優しいコだと思います。
 

| 大震災のこと | 12:19 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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あの日息子に持たせたお弁当

3.11の震災の朝息子に持たせたお弁当の画像を
PCに保存していたことに気付きました。
あの地震でTVもデジカメも吹っ飛びました。
TVはメチャメチャに壊れ、その下敷きなっていたデジカメも  
と思っていたのですが、奇跡的に生還。 
そして飛び出していたメモリーカードを戻したら画像も
しっかり残っていたのでした。 

3.11弁当

 ミートボールのトマトソース煮
(昨晩のハンバーグ生地から作ったもの)
 プチベールのソテー
 厚揚げ田楽
 焼塩鮭
 かぼちゃのきんぴら
 プチトマト

保温ジャーのお弁当箱なのでここに温かいご飯

311.jpg

もちろんですが、このお弁当を作っているときに午後あのような
大きな地震・津波にわたしの住む東北が襲われるとは・・・・・

お弁当に詰めたおかずの残りでわたしのお昼を済ませ、冷蔵庫の中を
きれいに整理し、お風呂の残り湯を流し、掃除を終え、お弁当のこの画像を
PCに取り込んでいたまさにそのとき 「グラッ!!」
あの4分間の激しい揺れはおそらく町ごと何もかも破壊するであろうと
思うほどのものでした。
1000年に一度と言われるのですから、当然体験したことのない
揺れであることは間違いありませんが。
たまたま子供たちの住む仙台のマンションの13階で遭遇しましたから
高層階で地震に遭う怖さも思い知りました。

しかしその時は、まさかこの地震で福島の原発が爆発するなどという不安は
微塵もありませんでした。
原発の至近の町で暮らす人々でさえもそうだったようですから、
「原発の安全神話」というのがいかに地元住民に浸透していたかが
分かります。
「なんとおめでたい人たちなの!!」と言われてしまえば
それまでですが・・・・・
今更ながら本当に取り返しのつかない悲しいことが起きてしまったのですね。

このお弁当は一生忘れられないお弁当になってしまいました。
みんなこうしてあの日普通の日常の中で家族を送り出したことでしょう。
我が家の息子は無事に帰って来ましたが、この朝が永遠の別れに
なってしまった人々がたくさんいることを思うとあまりにも突然に襲ってくる
自然の脅威には、なすすべもないことに言葉をなくしてしまいます。
その人たちを忘れないためにもこうして震災の記憶を綴っていくことは
大切なのかなと思っています。

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震災のときに命がけで守ってくれたお母さんのために
アタシもブログのお手伝いするデス。 セラでした。
  

| 大震災のこと | 08:30 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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